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2012.07.30 MON 15:43:27   通報する

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巨匠がリスペクトする巨匠をあげてみた

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すでに100年以上も製作が続いている映画で、全くのオリジナルを作り出すことは難しいと言われている。そうであればむしろこの人の影響があると映画監督が言ってくれたほうが潔いし、見る方も映画史をさかのぼってみる楽しみ方ができる。そんな巨匠のリスペクトする巨匠をあげてみた!

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ビリー・ワイルダー⇒エルンスト・ルビッチ

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出典: http://www.drillspin.com/person/view/ARDSA0812638

ビリー・ワイルダー

1906年生まれ アメリカ合衆国の映画監督、脚本家、プロデューサー

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出典: http://www.drillspin.com/person/view/ARDSA0831203

エルンスト・ルビッチ

1892年生まれ ドイツ出身の映画監督、映画プロデューサー

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ワイルダーが、師と仰ぎ、最も影響を受けたと明言する映画監督は、『青髭八人目の妻』や『ニノチカ』で脚本家としてついたエルンスト・ルビッチ。自分のオフィスの扉の上に「How would Lubitsch have done it?(ルビッチならどうする?)」というボードを掲げ、創作に詰まるとこのボードを見て、アイデアを練りなおしたという。

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山田太一⇒木下恵介

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出典: http://www.drillspin.com/person/view/ARDSAX037134

山田太一

1934年生まれ 日本の脚本家、小説家

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出典: http://www.drillspin.com/person/view/ARDSA0831005

木下恵介

1912年生まれ 『カルメン故郷に帰る』、『二十四の瞳』などで知られ、黒澤明とともに日本映画黄金時代を築いた巨匠。

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映画を作るスタッフ・キャストをよく○○組というが、そんな「木下組」からも多くの映画人が巣立った。小林正樹、松山善三、勅使河原宏、吉田喜重などがあげられるが、山田太一もその一人。木下恵介の映画をテレビドラマに脚色する仕事を手がけ、松竹を退社して、フリーの脚本家に。1968年“木下惠介アワー”でデビューを飾る。尊敬する監督として木下の名を今もあげる。

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小泉堯史⇒黒澤明

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出典: http://www.drillspin.com/person/view/ARDSA0832422

小泉堯史

1944年生まれ 日本の映画監督

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出典: http://www.drillspin.com/person/view/ARDSA0139478

黒澤明

1910年生まれ 国際的な評価が高く「世界のクロサワ」と賞される映画監督。代表作は『七人の侍』、『生きる』、『羅生門』など。

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大学を卒業した1970年、黒澤明に師事。その後、28年間にわたり、助手を務める。監督デビュー作は黒澤監督の遺稿『雨あがる』。同品でヴェネチア国際映画祭緑の獅子賞、日本アカデミー賞最優秀作品賞含む8部門を受賞。黒澤監督が今なお元気であれば、小泉はまだ監督デビューしていないかもしれない。

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新藤兼人⇒溝口健二

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新藤兼人

1912年生まれ 溝口健二の現場を知る日本映画の生き証人ともいうべき監督/脚本家だったが、最後の作品と宣言して取り組んだ『一枚のハガキ』公...

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溝口健二

1898年生まれ 日本が世界に誇る映画監督のひとり。厳格にコントロールされた映像設計が基本で、とりわけ田中絹代とのコンビ作は著名。『近松物...

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新藤監督が撮った『ある映画監督の生涯 溝口健二の記録』にすべてが記録されているが、当初、新藤は溝口健二監督『元禄忠臣蔵』に建築監督として付く。溝口の俳優に具体的なことを言わない演出に反発を覚えるが、出来た作品の素晴らしさに感銘を受け、内弟子となる。師事する間には「これはシナリオではありません。ストーリーです」と酷評され、ショックを受けることもあったが、『待ちぼうけの女』が評価され、溝口作品の脚本を書くようになる。その後、自らも監督デビューするが、リスペクトする監督は溝口健二だとしている。

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マーティン・スコセッシ⇒ロジャー・コーマン

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マーティン・スコセッシ

1942年生まれ アメリカの映画監督。『タクシー・ドライバー』(1976年)などのほか、ザ・バンド『ラスト・ワルツ』(78年)、ボブ・ディ...

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ロジャー・コーマン

1926年生まれ アメリカ合衆国ミシガン州デトロイト生まれの、低予算映画をもっぱらとする映画プロデューサー、映画監督

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低予算映画の王者と言われるロジャー・コーマン傘下でキャリアをスタート。「コーマン帝国」からは、スコセッシの他にも、ジェームズ・キャメロン、ジョン・ミリアス、ピーター・ボグダノヴィッチ、ジョナサン・デミ、デニス・ホッパー、フランシス・フォード・コッポラ、ロン・ハワードら多くの監督が巣立っていった。その辺の愛憎絡み合うリスペクト状況は、ドキュメンタリー映画『コーマン帝国』に詳しい。

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キャメロン・クロウ⇒ビリー・ワイルダー

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キャメロン・クロウ

1957年生まれ アメリカ合衆国カリフォルニア州パームスプリングス出身の映画監督・脚本家

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ビリー・ワイルダー

1906年生まれ アメリカ合衆国の映画監督、脚本家、プロデューサー

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ビリー・ワイルダーがルビッチを師と仰いだのは、実際に師事していたからだが、キャメロン・クロウはそういうわけではなく単なるファン。しかし押しかけ弟子となり、ワイルダーから超ロングインタビューを引きだした。それは「ワイルダーならどうする?」という本になっているが、本の原題は“Conversations with Wilder”。本の日本語タイトルは、ワイルダーのルビッチへのリスペクトをもじって着けた日本独自のものとなる。でもクロウはそれを気に入っており、日本版の本の表紙(和田誠デザイン)をポスターにして所持している。

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フランソワ・トリュフォー⇒アルフレッド・ヒッチコック

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フランソワ・トリュフォー

1932年生まれ フランスの映画監督

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アルフレッド・ヒッチコック

1899年生まれ イギリスの映画監督、映画プロデューサー

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キャメロン・クロウがワイルダーにインタビューすることを思いついたのは、トリュフォーがヒッチコックにインタビューしたものをまとめた「ヒッチコック/トリュフォー 映画術」に影響されたから。トリュフォーは自作の宣伝でアメリカにいくたびに、ヒッチコック作品の素晴らしさを評論家たちに説いた。すると訪米するたびに、米評論家のヒッチコックへの評価は上がっていったという。そうこうして50時間にもおよぶインタビューへとこぎつけ、先述の本を出版した。

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クリント・イーストウッド⇒ジョン・フォード

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クリント・イーストウッド

1930年生まれ アメリカの映画監督、俳優。テレビ西部劇『ローハイド』やマカロニ・ウェスタンを経て映画スターになるが、いまや世界を代表する...

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ジョン・フォード

1894年生まれ 1930年代 - 1960年代を代表するアメリカ合衆国の映画監督

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スティーヴン・スピルバーグ、マーティン・スコセッシら錚々たる監督が、ジョン・フォードの偉大さについて語ったドキュメンタリー「映画の巨人・ジョン・フォード」にも出てくるが、クリント・イーストウッドもフォードを称える一人。フォードから影響を受けたのは、アメリカの監督ばかりでなく、日本の、例えば黒澤明監督もそうだ。

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フェデリコ・フェリーニ⇒ルキノ・ヴィスコンティ

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フェデリコ・フェリーニ

1920年生まれ イタリア・リミニ生まれの映画監督、脚本家

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ルキノ・ヴィスコンティ

1906年生まれ イタリアの映画監督、舞台演出家、脚本家

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病気で倒れたヴィスコンティが『家族の肖像』で復帰した際、イタリアのチネチッタ撮影所のいつものスタジオにひと抱えのバラの花束があった。そこには、「喜びと感動をもってあなたを抱擁します。すべてはきっとうまく運ぶでしょう。映画万歳!」と書かれたメッセージが付けられていた。14歳年下のフェデリコ・フェリーニからヴィスコンティへの激励だった。まったく作風の異なる二人だが、フェリーニがこの巨匠に対し、どれほどの敬意を持っていたかが分かる。

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スティーヴン・スピルバーグ⇒黒澤明

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出典: http://www.drillspin.com/person/view/ARDSA0802291

スティーヴン・スピルバーグ

1946年生まれ 『E.T.』、『インディ・ジョーンズ』シリーズ、『未知との遭遇』など多くの名作を手掛ける映画監督。

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出典: http://www.drillspin.com/person/view/ARDSA0139478

黒澤明

1910年生まれ 国際的な評価が高く「世界のクロサワ」と賞される映画監督。代表作は「七人の侍」、「生きる」、「羅生門」など。

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『未知との遭遇』の砂嵐から現れるジープは『蜘蛛巣城』、『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』で主人公が顔を見せない冒頭を『用心棒』、『プライベート・ライアン』の戦闘シーンを『乱』からの影響と言われている。1990年映画芸術科学アカデミー協会名誉賞を受賞した際、プレゼンターとして登壇したジョージ・ルーカスとスピルバーグは、「現役の世界最高の監督。映画とはなにかという問いに答えた数少ない映画人にこの賞を贈ります」と語った。

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